座右の銘は「まぁ、いっか」

軽度発達障害の長男とこだわり強い傾向の次男、感情のコントロールが苦手なパパに片付けられない私の4人家族デス。日々格闘しながらも楽しく過ごしている中で学んだことなど綴っていきます

ことの発端

幼稚園入園直前の3月、次男が生まれました。

 

次男も夜はほとんど寝てくれませんでしたが、

長男と違って昼間はマキシコシのなかでよ~く寝てくれて、

これまたそんなに手のかからない赤ちゃんでした。

 

そして次男が生まれた1ヶ月後、

長男は無事入園したものの、

幼稚園バスに乗るときは大号泣。

先生に抱えられ、強制連行の毎日でした。

同じバス停に同い年の子が多かったのですが、

みんなは楽しく乗っていくのに泣き叫び暴れるわが子。。。

先生にも申し訳なく、長男にも何とも言えない気持ちで見送る毎日で

とても辛かったです。

 

2学期の後半くらいから

泣かない日が増えたかな?という感じです。

 

バス通園だったので連絡ノートがありましたが、

入園してから頻繁に先生とのやり取りがあり、

年少だけで3冊使いました。

みんなそうなのかと思っていたら、

どうやらうちだけだったようです。(^^;

その頃から先生方は長男が

みんなと違うということを

見抜いていたんだろうと思います。

 

幼稚園年少、3歳の夏。

家電量販店でばぁばとおもちゃを選んでいたら

急に立って目を開けたまま動かなくなったそうです。

その時私は実妹と少し離れたところで店員さんと話しをしており、

ばぁばからの電話で急いで戻りました。

声をかけても返事はなく、目は焦点が合ってなくて、

でも息はしてるし苦しそうでもない。

訳がわからないまま店員さんが呼んでくれた救急車で

お店近くの大学病院へ搬送されました。


熱もなかったのでてんかんの疑いがあると言われ、

後日実妹が通ってるクリニックで

念のため脳波を取りましたが異常は見られず一安心。

でも次発作が起きたら服薬になる可能性大と告げられました。


そして2ヶ月後、

2回目のひきつけで脳波にもはっきりと出て

てんかんと診断、服薬が始まりました。


子どものてんかんの多くは薬が良く効く良性のてんかんで、

8割が成長すると脳が信号異常に耐えられるようになり、

発作が起きなくなるとのことだったので、

そこまで落ち込むことはなかったです。

プールに通うことができなくなったことくらいかな?

スイミングスクールはてんかんの子はまず通えません。

 

私の妹は小学校の時にひきつけ発作を起こし、

今も服薬しているので多少慣れもあったかもしれません。

妹も初回発作からの二十数年間で

成人する前の2回くらいしか発作は起こしていません。

 

それよりも大の薬嫌いで、偏食、ジュース嫌いの長男に

薬を飲ませるのは至難の技。それも毎日。

そのことで目の前が真っ暗になりました。


最初は大泣きし全力で嫌がる長男に説得を続け、

ゼリーに挟んで何とか飲ませる毎日。

続けて行くうちになれるもので、

数か月たってからは嫌がるものの

少し落ち着けば素直に飲んでくれるように。


年中後半には粉のまま飲めるようになっていました。

ドライシロップをとにかく嫌がるので、

味のない薬で良かったです。。。

 

当初妹が通院している小さいのにMRIも完備という

驚きの町のクリニックで診てもらってたんですが、

いかんせん遠いし渋滞する。

ってことで、自宅近くの大学病院へ紹介状を書いてもらって

今はそちらで診てもらっています。

 

こんな感じでてんかんとの付き合いがはじまりました。